【いのちの叫び】

 

 

《日本での透析治療の臨床化》

日本では、東大の外科でスケッグス型の人工腎臓を使って

透析をしたのが最初でした。(1960年前後)

以後、オールウォール型・電気洗濯機型等が

実験的に使用され、慢性腎不全の治療法として

臨床化したのは、1960年代後半以降です。

そして、1967年12月に医療保険の対象とされました。

兵庫県では1968年に、神戸大学病院で2台の透析器の

寄贈を受け、治療が開始されました。

 

しかし、自己負担の全く無い患者は

社会保険・本人だけで、社会保険家族は5割・

国民健康保険は3割の自己負担があり、

その負担額は、月額で当時10万円から30万円に達し、

保険外負担も含めると20万円から50万円に達しました。

経済的負担に耐えられる患者だけが、

透析を受けられる事が出来、

また、人工腎臓の台数は全国的に極端に不足していました。

 

透析を必要とする患者が、5千とも1万人とも言われた当時

全国の人工腎臓は1970年で666台、

1971年では、1575台に過ぎず「宝くじに当たる」より

確率が低いとさえ言われました。

 

このような条件のもとで「患者の選択」が行われ

「先の患者の死を待つ」厳しく悲しい状況が生まれてしまいました。

当時の患者は、社会保険本人・世帯の柱となる人が優先され、

当然の結果として男性が圧倒的多数を占めていました。

現在の透析状況からは、 想像も出来ない現実が

ここに存在していました。

 

《悲劇的患者の存在》

医療費捻出のため貯金を使い果たす・退職金を前借りする・

家屋敷を売り払う・生活保護を受けるために離婚する等々。

そして、最後に飲みたいだけ水を飲んで、

自ら命を絶つ患者もいました。

 

「死」を意味した腎不全という病は、透析によって

「生きる事が可能な疾患」「社会復帰さえ可能」へと変わってゆく。

が、当時の社会・医療制度上の条件から、上記のような

悲劇的な患者を生む結果となり、その患者の存在と

「生きたい!」と言う切実な願いが、必然的に

患者達を立ち上がらせ、各地のそして全国的な

運動展開への大きな要因となりました。

 

《結成前夜》

兵庫県においても、僅か十数名の患者が集まって

1970年11月11日「腎友会発起人会」 に始まり、

会設立の趣旨・会則等の内容について検討を重ねていきました。

当時の透析治療レベル・条件で、中心メンバーの体調は

決して優れたものではなく、(ヘマトクリットで例えると10代前半)

重い身体を引きずり、手弁当持参の過酷な取組でした。

 

その困難さは私達の想像を遙かに超え「一日でも長く生きたい!」と言う

切実なる願いと「後に続く人のために!」の

使命感があったに違いありません。

衰弱しきった身体・青白い顔

「集まるたびに姿を見ることが出来ない人がいる・・・」と

言う恐怖感を前に、お互い励まし合って粘り強く進められた。

 

そして、1971年3月7日結成当日、厳しい寒さの中

神戸大学T教授・各病院院長をはじめ医療関係者列席のもと

患者・家族100名の出席を得て、熱気に満ちた討議が行われた。

当日の様子は、翌日の新聞にも大きく掲載され、ここに

私達の先輩が正に「命を掛けて」誕生させ、現在のNPO兵腎会へと

活動は受け継がれたスタートがありました。

 

結成準備段階から携わっておられた初代会長のI氏は、

結成総会にも体調不良で出席出来ず、この後4月9日

私達に大きな財産を残して他界されました。

あまりにも悲しく厳しい現実ですが、私達は目を背けることなく

僅か30年前の事実をしっかりと、知る必要があるように思います。

 

《全国的運動へ》

【結成前後の

1970年以降、兵庫をはじめ福島・富山・愛知・広島など、

特に透析患者の多かった県で、透析患者を中心とする

患者会が結成され、病院単位での患者会も

各地に組織されつつありました。

その中で、最初に全国組織結成を呼び掛けたのは、

東京の日大医学部付属板橋病院の患者らによる

「ニーレ友の会」でした。

同会のK氏は、断片的に伝えられる各地の情報をもとに

手紙を送り、東京周辺の病院を訪ねて、

全国組織の必要性を訴えて歩いた。

 

こうした地道な行動から強い反応を受け、

全国的組織結成の具体的な準備が成されました。

1971年3月10日第1回準備会に始まり、回を重ねる事に

新たな患者会も参加し、全国的反響を呼びました。

 

同年6月6日 全国腎臓病連絡協議会(全腎協)は、

東京・大手町の都立産業会館で歴史的結成総会を開催しました。

総会には、全国から250人を越える

透析患者・透析を目前にした腎不全患者

慢性腎炎の患者・家族が、雨の中集結しました。

結成当時、全国24団体が加盟し、個人加盟は150名でした。

 

「金の切れ目が命の切れ目」と言われた実情が報告され

将来への熱い期待が語られました。

  1. 人工透析の費用を全額国庫負担に

  2. 透析患者を身体障害者に

  3. 全国各地に腎センターを

  4. 長期療養者の治療費の保障を

等「当面する緊急目標」を含む活動方針などで

満場一致、採択されました。

こうして誕生した全国組織「全腎協」は

「緊急目標」を実現するため、「生きる権利」を守るため

早速、翌日から運動が開始されました。

新聞見出し】

「人工腎臓もカネ次第」

−治療費 国でもて−

................

「励まし合う腎臓患者」

−全国運動にささやかな会

................

「腎臓病患者の全国組織」

−国の援助要求へ−

................

「人工腎臓で救って…」

−治療費月30万円 死を待つ患者−

................

「貯金も後わずか…このままでは死」

−治療費 国で負担して−

    

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